中間レポート(日高志野さん)
日高 志野さん/Ms. Shino Hidaka
(専攻楽器ピアノ/piano)
[ 2017.02.2 ]
学校名:ロシア国立チャイコフスキー記念モスクワ音楽院
ローム ミュージックファンデーションの奨学生の日高志野です。
モスクワは既に氷点下・・・ロシア用の防寒着一式が欠かせない日々となりました。
東京藝術大学在学中からロシア音楽に傾倒し、念願だったモスクワ音楽院に留学し始めて早3年が経とうとしています。
毎年訪れる冬の寒さはとても厳しく、気が滅入ることもありますが、それでも私の愛する多くのロシア人作曲家たちもこの寒さの中で名曲を生み出してきたと思うと、この寒さもロシア流「風情」のように感じることもあります。
2016年は、モスクワをはじめとするロシア国内の数都市、ウクライナのキエフ、初めて訪れたドイツのベルリンなどで演奏させていただきました。
中でも強く印象に残ったウクライナ・オデッサでのオーケストラとの共演のことを書きたいと思います。
オデッサは、世界的に著名なピアニスト、エミール・ギレリスが生まれた都市として知られています。
4年前のちょうど同じ10月、私は初めての海外一人旅でこのオデッサへ渡り、「第5回エミール・ギレリス記念国際コンクール」を受けました。
そのころはウクライナ語もロシア語も(恥ずかしながら英語もあまり・・・)ろくに話せず、日本からでたことのないいわゆる「純国産」の状況でしたので、目に飛び込んでくる風景、聞こえてくる会話や自然の音、石畳の道路や何屋だかわからない店の看板、足が長い美女たち(ウクライナは美人の女性が多いことでも有名です)すべてが見たことのない新世界でした。
そんな中ある意味興奮状態で受けたこのコンクールで光栄なことに第1位を頂き、わたしにとってウクライナのオデッサは演奏家の卵としての出発点となりました。今でもその期間の記憶は鮮明で薄れることはありません。
その後4年の月日が経ち、ある日「オデッサでオーケストラと共演しませんか」という一通のメールを受け取りました。
それを読んだ時は「またあのオデッサで演奏できる!」ととてつもなく嬉しかったことを覚えています。
【演奏したウクライナ・オデッサの国立オペラ・バレエシアター】
10月19日、コンサートはオデッサで一番大きいバレエ・オペラ劇場でおこなわれました。
この日はギレリスの誕生日で、彼のバースデーをお祝いする記念コンサートでした。
コンサートでは、過去にこの「ギレリス記念国際コンクール」で優勝した5人の若いピアニストが世界各地から集まり、それぞれがオーケストラとギレリスのレパートリーだった協奏曲を演奏しました。
私は、長年の夢であったプロコフィエフの協奏曲第3番。
2回の練習を含め、ギレリスの顔が描かれた大きなフラッグの下でオーケストラとともに演奏できた時間は本当に幸せでした。
【プロコフィエフ演奏後】
【指揮してくださったドミトリー・シトコヴェツキー氏と。ヴァイオリニストとしてもとても著名な方でモスクワ音楽院の先輩であり、なんと私の母校藝大にも毎年演奏会やマスタークラスなどでいらっしゃっているそうです!】
4年という短くはない月日を隔てても、コンクールの事務局の方が私をこの演奏会に招待してくださったこと、そして地元の誇りであるギレリスと、何より彼の演奏を愛し、何年経ってもこのように演奏会でお祝いするオデッサというあたたかい町、そしてその演奏会を聴きにきてくださるお客様、すべてに感謝の気持ちと感動に堪えず、オデッサに行くことができた自分の人生をとても幸せだと感じます。
2016年は、初めてチャレンジしたアメリカの国際コンクール(San Jose International Piano Competition)で第2位を頂く等良いこともたくさんあった反面、勉強していく中で壁にぶつかったり、道に迷ったりすることも多くありました。
今でもその問題がすぐに解決したり、霧が晴れることはありませんが、モスクワで尊敬する教授と試行錯誤しながら、こうして世界で演奏するチャンスをいただき、それを皆様に聴いていただけることは本当に幸せなことだと感じております。
これからも前向きに、そしてひたむきに精進してまいります。
いつも暖かくサポートしてくださるローム ミュージックファンデーションの方々には感謝の念が尽きることはありません。
かつて尊敬する諸先輩方のレポートを胸躍らせながら読ませていただいたことを思い、私の拙い一文が楽しいものになっているかはわかりませんが、ロシアの寒さだけでも十分に伝わったのではと思います。
ローム ミュージックファンデーションの皆様、本当にいつもありがとうございます。